黄昏読書16 「海が見える家」「海が見える家 それから」 はらだみずき
「自分の人生を楽しもうとしているか?」
この問いかけを説教くさくなく、ライトに感じられるのが心地いい。
1、2日で読めてしまう。
昔、ラジオで紹介されていて、面白そうだなと思っていた本。たまたま本屋で見つけて、手にした。
主人公の文哉は、就職して1ヶ月で会社を辞めてしまい、憂鬱な日々を送っている。そんな中、上手くいっていなかった父が亡くなったと連絡があり、ゆかりのない南房総の海の見える家で生活していた事が分かる。父の生きていた証を探る中、その家で生きていく事を決めた。
続きである「海が見える家 それから」は、釣りや畑作りで自給自足生活を目指し、土地の人達との交流を通して、生きることに自信を深めていく姿が描かれてる。
印象的だったのは、価値を「忙しさ」ではなく、いかに「自分の時間をつくれるか」に置くこと。
そして自分や周りの人に何ができるかを考えること。
inputからoutputを余裕を持ってしたい
黄昏読書14 「妻のトリセツ」 黒川 伊保子
知ってるつもりだった。
今回は以前話題になった本。
自己の記録のため徒然なるままに書きます。
解決策を提示するのではなく、共感が大切。
この本以外にも、聞いたことがあったけど、ついつい「これは○○したら」と言ってしまいそうになる。
実践は難しく、訓練が必要。
また最近、仕事で3週間ほど家を離れることがあった。
食生活の乱れやストレスから胃腸の調子が悪くなり、晩酌ができなくなり、その後食事が苦となった。
しかし、家に帰って2,3日で症状は全くなくなった。
早速、妻からの小言はあるが、ルーティーンのように奇妙だが心地良い。
どれだけ支えられているか、知ってるつもりでしたが、改めて感謝。
「夫婦の道は、照る日も曇る日も嵐の日もあるけれど、継続は力なりである。最後の峠に咲く花は、案外、優しくてふっくらしている。」
黄昏読書13 スマホ脳 アンデシュ・ハンセン
スティーブ・ジョブズは、自分の子供にiPadを触らせなかった。
スマホは
・知能を低下させる
・周知力を低下させる
・鬱を引き起こす
またSNSを利用する人ほど幸福度は低い
脳科学に基づいて、スマホによってHAP系が作動し、「闘争」か「逃走」を促し、不安にさせる。
また最新ドラックみたく依存度が高いと説明している。
スマホがドラックとは思ってもいなかったが、
確かに以前と比べて、本や映画を見てても何かスマホが気になり、集中はしづらいし、いいねは気になるものだ。
スマホ脳から脱却するためには、
●心拍数が上がる運動をする
●スクリーンタイムは2時間以内にする
早速、アプリからの通知をほぼオフにしてみた。
時間は腕時計に戻してみよう。
起床アラームも目覚まし時計に戻そう。
これは子供がもう少し大きくなったら読ませないと。
黄昏読書12 そしてバトンは渡された
親になると、明日が2つになる
「自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない?」
文中にあったセリフ。
長男はサッカー選手と小さい頃から言ってるけど、最近はTVの影響か弁護士、また母親の影響か看護師と言っている。
親が2人とも医療従事者だしなどとも頼もしい。
これから何にでもなれる輝かしい未来が待ってる。
うちは子供が2人いるから、明日は3つになるのかな。
黄昏読書11 「コロナ後の世界を語る」
コロナは現在進行形であり、過去完了形ではない。
各界の著名人達が2020年春頃に、コロナ後の世界について語ったものがまとめられている。
1年前経って、概ねその通りとなっているというか、当時の課題がそのまま残っている。
経済的損失、格差の助長、差別や偏見、ワクチンの遅れなど。
長期的な展望に関する話は少なかったが、興味深い内容だったのは2つ。
斎藤環 「人と会うのは暴力」
他人と関わる事は労力を要し、傷付くこともあり、暴力性を秘めていると。
ただ会う前は気が重くても、やっぱり会って良かったと思う事は多々あり、その逆も然り。
コロナで不要不急?な関わりがなくなり、精神的な軽さを感じることもある。
しかし多数の合意やイメージの共有をする時にzoom会議では上手くいかない。
やはり会って話すしかないのか、我々の脳内意識の変革が足らないのか。
人と会わないことが長期に渡った、あるいはノーマルになった世界を経験している子供達が受ける影響は気になる。
プレイディみかこさんが同じようなことを提言している。
今の子たちが将来指導者的立場になったときに、世界はどのようになるのかと。
今、第4波の入口と言われている。
潮騒は心地よく安らぐが、波がしばらく嫌になりそうだ。
黄昏読書番外編
シン・エヴァンゲリオン劇場版
今日は久しぶりに何もない平日休みだったので、見て来ちゃいました。
高校生の頃、TV版を見てから25年。
見終わって、これで本当に終わり。
なんか喪失感とともに卒業の気持ち。
思春期真っ只中の高校生は、シンジに自分を重ねてた。
大人への嫌悪感と10代特有の孤独感。
あの頃はエヴァはオタクと言われ、サッカー部の周りにはエヴァの話題しにくかった(^ ^)
今日は若いカップルも多く、時代の変化に驚いた。
そのはず、あれから25年経ったのだから。
新劇場版が始まった2007年は30歳手前。
世の中は不条理だけど、付き合っていかないと。
あまり主人公に感情移入できず、映像美を楽しんだ。
しかし今回、父ゲンドウの独白に、共感してしまうとは。
ゲンドウの行動、言葉が自分が父親になって分かる。
小2,5の息子が考えている事は時には分からず、接し方に戸惑う事もある。
当たり前、息子といえども、違う人間だから。
父親といえども完璧ではない、弱さを認めて1人の人間として接すること。
1番大切なものは、目の前にある。
見えていない、見ようとしていないだけ。
25年前の自分に、少しは成長してるよと報告できるかな。